深夜1時過ぎ、なぜか目が覚める。
耳に届く、不可解な音に気づく。
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いつからか、寝つきが悪い夜にはAirPodsを装着して、ラジオや朗読を流して聴くようになった。
何か、不安ごとをグルグル考えてしまう前に、素早く情報を耳から入れて、思考を遮断するのだ。イェーイ。
これがとても効果的で、気づいたら朝になっていたと言う実績多数。
とはいえ、コンテンツのチョイスがとても重要! ということで、「私的睡眠導入の強い味方三戦」を紹介しよう。
1. ラジオドラマ部さんの朗読 「人間失格」
何十回と聴いているのに、いつも「はしがき」「第一の手記」あたりで寝かしつけられてしまうので、いまだに何が「人間失格」なのかさっぱりである。
うーん、こぶしを固く握りながら、猿の笑顔で笑うサイコパスの話?
2. ポッドキャスト "Bee's Tea with hannah"
hannahちゃんは、YouTubeをきっかけに知った素敵な女の子。
とーってもキュート。自然体でいて、飾らないのにおしゃれなの。
鼻にかかった低めの落ち着いた声と、様々なカルチャーに精通したトーク内容。
お休み前のガールズトーク気分で、とっても癒されるよ、オススメ。
要は、BGMなしorあってもヒーリング系で、感情の浮き沈みが少ないコンテンツがgoodで、笑ったり、怒ったり、泣いたりするのはNG。
淡々と、抑揚なく過ぎ去っていくと、睡眠の邪魔をしないよ。
そのため、ドラマや映画は"感情を揺さぶる"ように構成されているから基本的にNGだが、例外があって...それが三つ目のオススメ。
3. 映画「かもめ食堂」
これは名作なので説明せずとも、だろう。
「パンとスープとネコ日和」「ペンションメッツア」とか、小林聡美さん(と、もたいまさこさん)がエプロンしてる作品流しとけば間違いないですね、ええ。
間違ってもボリウッドは寝る前に観ないように。
.......と、こんなぐあいに、
確かに今日(もはや昨日)の夜も、いつものごとくイヤホンをつけて寝たけど、こんな雑音を流した覚えはないぞ?(たまに自動再生で芸人のラジオが流れて地獄を見ることはあるけど)
とても不快で、不愉快な音だ。
「〜〜、〜!」
いったいなんだ、これ?
「~~~~~~!」
ラジオ?
「~~、~~~~、~~~!」
いや、お経?
「〜〜〜♬」
あっ、これお隣さんの歌声だ。
「〜〜〜〜、♫♩ ○△□□△×〜〜!!」
お経の正体は、ラップパートだった。
....なるほど。
ー 刹那、込み上げる怒り。
おーーーーーーーーーい!!!
おしゃべりならまだ許すが、この時間(AM1:00)に思いっきり歌うな!!!
しかもドドドドドドド平日で、明日も仕事だよ!!!???
ロマンチックじゃない方の壁ドンしてやろうかな!?
怒りに任せて、スマホのボイスメモアプリを起動し、証拠を残そうとしたくらいだ。
(いや、できれば彼女さんも注意してほしいな~!?)
そう、お隣さんは十中八九、カップルなのだ。(歌っているのは男性の方)
私が住むアパートは、決して広くはなくこぢんまりとしたお部屋なので、(恐らく)同棲しているという事実に最初は驚いたものだ。
いくら恋人でも、プライベート空間を満足に確保できなくて、大丈夫なんだろうか。
まあ、私がもはや物置として使っているロフトをうまく活用してるんだろうな、
などど、"THE・余計なお世話"を当初は考えたりした。
時折真夜中に、少々大きめの話し声が聞こえることはあったが、”木造アパート暮らしの醍醐味”だと思ってそこまで気にしてない。
私も友達を招いた時は夜中まで爛爛とおしゃべりしてしまうし、いくら気をつけていても生活している限り、お互い様だと思うし。
夜型タイプのカップルなんだな~ 程度に思っていたが.....
「~~~~♪ ボエ~~~~♪」
熱唱は話がちがうだろーーーーーーーーーー
もー......寝させてくれ...頼むから
一度トイレに立ち、水を飲み、どうにか布団にくるまって再度夢の世界へ帰還しようと試みる私。
が、容赦なく彼の歌声は続く。
「ぼえ~♪ ぼーえ、ぼえ~~~♬ 」
いや、冗談じゃないな、これ。
しかも、声がでかい(鼻歌レベルじゃなく、普通に歌詞が聞き取れるくらいの声量)から、もはや何の曲歌ってるか、嫌でもわかってしまう。
そこから突如始まった、「チキチキ!第一回、隣人とのイントロドン!クイズ☆」
「せな~かにあった つばさはぁ
きーみーとともに なーくしたぁ♬」
これは...スキマスイッチで、「雫」!?
いや、知ってますが。「獣の奏者エリン」で死ぬほど聞きましたが。
へ、へえ、結構選曲いいじゃん。
「きみ~の まいにちに~ ぼくは~にあわないかなぁ♫」
おつぎはなんだ。
「ゆきがきれいとわら~うの~は きぃみが~いい~~~~♩」
backnumberで、「ヒロイン」!?!?
まさか...きみ.......同世代、なのかい?
2000年代の名曲揃いじゃん....
かと思えば、
「あーぱとぅ あぱとぅ あーぱとぅ あぱとぅ ♪」
おっ、今流行りの。 いいねぇ。
ちゃうねん。
懐メロから最新ヒットチャートまで無駄に網羅すな。
求めてないのに深夜にリサイタルすな!!!!
怒りとは裏腹に、段々と笑いがこみあげてきて、眠気が覚めてしまった。
あーこうなったら私の負けだ。
だってこれ、いやだけど、悲しいけど、やるせないけど、
「面白い」もん。
これ、あれだ。「哀笑」とでもいうべきか。
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【哀愁】
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もの悲しさ。うら悲しい感じ。
私は昔から、哀愁を感じるもの、人、こと、が大好き。
好きすぎて、スマホのメモ帳にこんなメモを残すくらい。
こんなふうに、日常で哀愁を感じる瞬間を、忘れないように書き留めている。
(今度改めてメモの詳細書こうかな?マニアックか?)
哀愁の本来の意味は、ポジティブじゃないかもだけど、私の中での解釈は、
「可哀想で、もの悲しくて、どこか懐かしくて、愛おしい」。
このメモは主に、街中で見かけた「哀愁」だが、自分自身に感じた哀愁も、勿論大量にある。
たとえば、最近の事例だと、
哀愁1, "お得"という文字に踊らされて結局偽物つかまされる私
この前、会社の出張で大阪に行く機会があり、初めて551蓬莱の豚まんを買った。
あまりにもみんなが絶賛するから、しぶしぶ長蛇の列に並び、半信半疑でお家に持ち帰る。
せっかくなので、マグカップで蒸してやるか。
一口。 驚愕。 んま......!!!!!
生地がフカフカで甘みがあって、肉だねがジューシー...にんにく?なのか香辛料がしっかり効いてる。これは、おいしい!!
食後、(なぜ2個しか買わなかった?)と自問自答。上司は12個買っていた。
しばらく「551豚まんロス」から抜け出せずにいると、
近所のスーパーのチルドコーナーで、奇跡の発見!
(えー!!すごい、こっちでも買えるんだ! しかも4個も入ってお得じゃん!!!)
内心飛び上がりたい気持ちで、ほくほくと大切に持ち帰り、
"あの味“にありつける期待で胸をいっぱいにして、レンジでチンして一口。
「え?」
なんと、全くの別物だった。
確かに551はついてなかったけど...蓬莱ってありふれた名前なの???
かなり落ち込んだ。
また、
これまた最近、帰省をきっかけに、”南部せんべい”の尋常じゃない美味しさに気づいたわたしが、あの味を忘れられずさまよっていたところ、
なぜか近所の激安スーパー(この時点で疑うべき)にて、「お買い得!東北名物 南部せんべい」のポップが!
(えー!!すごい、こっちでも買えるんだ! しかも~以下省略~)
もちろん、お察しの通り、別物でした。(固くて、風味がなく、乾パンかと思った)
ちがうよ...私が食べたいのは、小山大製菓さんや、羽沢製菓さんの、歯触りが良くて上品な甘さのやつだよ....
他にも「黒トリュフがこーんなお安く!?」と思って買ったら、トリュフ風味のブルスケッタだったこともある
(これは普通にあほ)(なんだかんだ美味しかった)
哀愁2, 洗濯機に踊らされる私
洗濯機に、「柔軟剤投入ケース」あるじゃないですか。
あれを私、"運試しルーレット"だと思ってたんですよね、
正面に来れば大当たり、真横なら、まぁまぁ。
最悪なのは、給水口ともろ被りした時。悪魔。鬼。運勢最悪。
イメージ的には、滝に腕を突っ込んで、滝の向こうでぼやけて見えない投入口に一か八かで柔軟剤を「やーーーーーっ」って、入れる感じ
もちろん不可能。服の上に全部こぼす。
どうしようもない虚しさに襲われるが、それも仕方ない。全ては運なのだから。
地道に徳を積もう。
と、洗濯するたび一喜一憂し続け、
時が経ち今、SNSで見かけた、目を疑う情報。
え?回せる?
(まさか、そんな、ばかな.....)
約2年間、ずっと、運試しだと思っていたものが.......
普通に回せた。
.......
このように、哀愁は日常の中にゴロゴロ転がっている。私にも、みんなにも。
でも別に、かわいそうな自分をこの場で書き残したいわけじゃない。
ひとしきり悲しんだ後、笑いたいからだ。
これこそが、私が考える「哀愁」から派生したネオワード、「哀笑(あいしょう」です。
「可哀想で可愛い」
「悲しいけど笑える」
それが、哀笑。
私だって、昔は「哀笑」を全く理解できなかった。面白がれなかった。
私はいわゆる感情型で、共感したい、されたい。
だから、論理的な思考が得意な人を、ある種理解できなかった。
愚痴をはいても、共感して慰めてくれない人、人が転んだら心配する前に笑うタイプの人には、むかついた。
別物の豚まんを買ったら、一カ月は落ち込んでいただろう。
でも、だんだんと、成長して、感情に流されるだけでなく、理性的に、感情をコントロールできるようになって、身に降りかかる災難や不幸も少しづつ笑い飛ばせるようになった。
もちろん未だに、理不尽な出来事には怒りも沸くし、悲しんだり、コントロールできない感情に襲われたりするけど...
でもいつからか、
私の中にいる「第三の私」が、「どうやってこれをネタにして、人に面白く話せるかな」と、考えるスピードが早くなった。
客観的に、第三者目線で。
たまには、悲劇のヒロインになったっていい。
浸ったっていい。
でも、客席には、そのヒロインを、空気を読まずに笑って、揶揄えるような自分も、
隣で泣いている自分の隣に、
いつも同席させておくべき。
そうして私は、悲しいことや辛いこと、どうしようもないことを乗り越えていく。
要はこの日記も、その手助けになっているのだ。
上手く言った事と同じくらい、失敗を残して笑えるように。
だって、記念すべき最初の「なつにつき」も、焦げた食パンの話からはじまった。
その時の自分が絶望するほど落ち込んだり、憤りを感じることでも、すぎて仕舞えば笑い話。
過去の記事を読むと、「わーちっぽけ(笑)」と失礼ながら笑ってしまったりする。
同時に、精一杯その時を、頑張って生きる自分が、愛おしくて、たまらない。
文字にして残したり、客観的に観ないと、いつまでも「失敗」として、私を蝕んでしまうから。
ー 姉がその昔、このブログを、「なんか悲しくなるから(読むの)苦手」と正直に表してくれたように、私はそう言う表現の仕方が好きなのだ。暗い人間と片付けられればそれまでだが、繊細で美しい、「哀愁」という表現が好きだ。
自分に厳しくて、失敗を断固許さない、完璧主義の自分だからこそ、
おっちょこちょいで、傷つきやすく、不器用に生きてる自分を、認めて、面白がってあげたい。
それが魔法の言葉、哀笑。
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長いように感じたお隣さんのショーが終わり、今度は彼女さんとの楽しいトークタイムが始まった。
時折大きな笑い声が、どうにか再び眠りにつこうとする私をじゃまするけど、
まあ、今夜はひとまず、我慢したげるか。
充電の切れたAirPodsを、手の中で持て余す。
もう、仕方ないなあ。
また一つ、未来の自分が笑えるネタをもらえたけどさ。
ありがとね。
...でも、これが続いたら、管理会社さんに言っちゃうからね。
おやすみ、
はやく寝なね。