私には3つの安全基地がある。
まず、今暮らしている1Kのアパート。つぎに、両親がいる実家。
そして最後に、図書館。
ここでいう安全基地とは、心理学の「親と子の愛着関係」云々とは少し違う。
「私が私らしく過ごせる、安全で心地よい場所」のことをそう呼ばせていただきたい。
図書館が私の安全基地となるきっかけを作ってくれたのは、母だった。
小学生の時、世にいう「ずる休み」をよくしていた。
熱も咳も鼻水も出ていないけど、「具合が悪い」と母に訴え、学校を休む。
なぜ嘘をついてまで休みたかったのか、今となっては思い出せない。
いじめや仲間外れの類では全くない。
ただ一つ言えるのは、今の私と同様、かなり繊細な子どもだったこと。
周囲からすると些細な出来事に敏感で、時に深く傷つく子。
そのくせ、先生や友達に過剰に気をつかい、「いい子」でいようと我慢をする子。
その我慢が限界を迎えたある日突然、学校を休むという逃げ道に頼るしかなくなる。
親なら、学校の先生なら、このずる休みをどうとらえて、どんな言葉をかけるだろうか。そこに正解はないだろう。
だが、正解でなくとも、母がしてくれたことが私を救ったことは確かだ。
学校に行かなくていい安心感と、ずる休みした罪悪感とでぐるぐると考え込む私を、母は車にのせて図書館へと連れていく。
平日の昼間の図書館。
新聞や雑誌を読むシニアの方、幼児に読み聞かせをする母親、自習室で勉強をする浪人生がぽつんぽつんと点在する空間。
館内の時間の進み方は、教室のそれとは全く違って、穏やかで、静かで。
学区外のため、知り合いに会う可能性は低く、ずるをとがめられることもない。
私を苦しめる同い年の小学生なんて、いない。
設備も古臭く、少しのすえた臭いもする図書館ではじめて、緊張状態が解けて、息ができた。
なによりそこには、読み切れないほどたくさんの本があった。
もともと読書が好きな私はすぐにその場になじみ、多くの本を読み漁った。
児童書コーナーから借りることがほとんどで、「あ」から「わ」まで、棚の端から端まで。気になった本は片っ端から借りていく。
最高10冊借りられる図書カード。それでも足りないときは家族のを拝借し、多いときで20冊もの本を借りて読む。
たいていは家に帰ってじっくり読むが、時には子供用の椅子に座り一気に読む。
しゃがんで立ってを繰り返し、目をぎょろぎょろさせて本を探すもんだから、結構なエネルギーを消費する。
大抵は、別行動する母に私が「おなかへった」と声をかけたら終了の合図だ。
たくさんの本で少し重くなった車は、図書館から程近いショッピングモールへと向かう。
フードコートのはなまるうどんが、ずる休みした日の母娘2人のお決まりのランチだ。
仮病の私は、よく食べる。
ざるうどんの中サイズとセットにカレーライス、時には好物の芋天もつけてもらう。
あっさりしたものが好きな母は、かけうどんやぶっかけうどんを頼み、2人でシェアしながらずるずる啜る。
「休みたい」と伝えた朝も、図書館でも、うどんを啜りながらも、母は私を決して問い詰めなかった。ただ、図書館に連れて行き、美味しいものを食べさせてくれた。
それは私にとって、救いだった。
学校を休むという逃げ道の先で母は待っていてくれて、責めるどころか「こっちにこんな逃げ道もあるよ。」と私を外の世界に連れ出してくれたのである。
母なりに、いろいろな考えがあったかもしれない。家で引き篭もるよりは、本に触れさせよう、とか。
どのような考えにしろ、私は図書館という安全基地を手に入れた。広い深い物語の世界を知ることで、狭くてちっぽけな教室に再び向かうことができたのである。
本来の安全基地の意味と同様に。
『心の安全基地』の存在によって外の世界を探索でき、戻ってきたときには喜んで迎えられると確信することで帰還することができる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/安全基地
いつの間にかずる休みをしなくなってからも、図書館は私の居場所で、味方であり続けてくれた。その図書館をはじめ、出会った全ての図書館に対して昔馴染みのような感覚を覚える。
高校1年生の時、1人でお昼を食べる勇気がない私を、優しく迎えてくれたこともある。
私がスマホに夢中で活字を読むことから離れた時も、ずっと変わらず安全基地として待ってくれていた。
そして今、社会人となった私を再び迎えてくれている。