私にとっての理想の生き方、理想の暮らしを考えてみる。
それは、「穏やかで、余裕のある暮らし」につきる。
この表現だと、「金銭的に余裕があって悠々自適ないい暮らし」と捉えられそうだ。
確かにそれにもあこがれるけど、ちょっと違う。
私がほしいのは、穏やかに自分らしく過ごせて、自分にも人にも優しくできる余裕だ。なぜこう思うようになったのか、おそらくこの3つだと思う。
①HSP気質なところがあるので、刺激も変化も少ない暮らしが一番落ち着く。
②不器用なくせに完ぺき主義なので、たくさんのものは抱えられない。
③人の目を気にするので、忙しく緊張した場面が続くと、本来の自分を見失う。
これら3つは私の弱点・コンプレックスでもあるが、愛すべき特性でもある。
これらを抱えた私に優しくできる、余裕のある暮らしをしてあげたいと常々思っている。
そして、大切な人たちにも優しくできる心の余裕も、しっかり確保したい。
お金があっても、この余裕がない人もいる。
昭和や古き良き文化にどうしようもなく惹かれるのも、物はなくとも人々の心に余裕がある(ように見える)からかもしれない。
心身ともに、余裕がなくなってくると、すぐにわかる。
蕁麻疹が出る。大好きな「食べる」という行為が自傷のひとつになる。先の心配事ばかり考える...他にもいろいろ、いや〜なこと。
そして、本が読めなくなる。
まどろっこしい前置きを経て言いたいことは、本が読めるって、幸せだな。ということ
読書は、図書館に行って本を借りることは、今自分に余裕があるかどうかの指標だ。
YouTubeの動画を倍速で見たり、映画を最後まで見れなくても、大丈夫。
本を読む余裕さえあればきっと大丈夫。
動画ではなく読書を選ぶのは、本と私だけの世界で、物語を楽しめるから。
YouTubeなどは、実在の人物が自身の生活を切り売りしていることが多い。
それに対してコメントや評価など、世界中の他者が介入する。
そこにまぎれた悪意は、私の穏やかな世界を揺るがしてしまう。
以前電車に乗っていた時、目の前の女子高生がTikTokを見ていたので、つい一緒に楽しんでいた。
投稿者が恋人とのメッセージのやり取りをのせ、「理想の彼氏!」と題したほほえましい動画。
すると、動画を見たその子はさっとコメント欄を開き、否定的な意見の割合が多いと知るや否や、「絵文字使う男は無理」といった内容のコメントを何のためらいもなく投稿していた。
その間わずか10秒足らず。
想像力がかけてるな、と思う。
膨大な量のコンテンツを、指先一つでいくらでも見ることができる時代。
図書館へ向かって、本を選んで、借りて、ページをめくって読んで。そんな手間はない。
視聴者も、そして投稿者も、そのせわしないインプットとアウトプットの中で、知らぬうちに必要のない情報まで手に入れてしまう。
その情報は、人を傷つけ、穏やかでいられなくすることがある。
ただ、動画やSNSに限らず、最近は本すら穏やかではなくなってきた。
「今すぐ〇〇をやめなさい!」「まだ〇〇してるの?」「○○さえすれば大丈夫!」などと、不安商法が蔓延している。
受け手がみんな、情報の取捨選択をできて、ありのままの自分を愛せるならいい。
ただ、弱った人の心に追い打ちをかけるような、あまつさえ利用して儲けるようなコンテンツには思わずしかめつらしてしまう。
許すまじ。キライ。
あれっ、どうして理想の暮らしの話して、穏やかでいたいとかいって、怒っているんだっけ....
....あっ
そうだ、上司のおじさまが、「YouTubeのショート(動画)で“おじさんがしちゃいけないファッション”を学んだ。何着たらいいかわからない」と嘆いていたからだ。
んも~~!!!いいんです!!!
そんなの気にせず、好きな服着てください!!!!
どうぞみなさん、穏やかに、ありのままに、自分を愛する余裕をもって生きましょうね。